Dogwoodの池上日記

地元大田区池上・蒲田と軽井沢・信濃追分を愛するDogwoodの日々徒然日記。

最初に入った会社のこと

ここのところ、食べ物のことばかり書いていたので、ここらでちょっと違うことを書こうと思います。今から29年も前の話になりますが、、、

今年4月に入社した新入社員も、ようやく慣れてきた頃では無いでしょうか。私Dogwoodが、1987年に大学を卒業して、最初に就職した会社は、もう存在しませんが、JR藤沢と辻堂駅の間の線路沿いにある、家電メーカーの子会社でした。その年の同期入社は、男性が7人、女性が80人位。ほぼ男子校出身のDogwoodとしては、それはそれは、もう天国のような環境でした。しかし、入社早々、自分ともう1人の同期入社の2名だけが、会社から離れた協力工場の製造現場で、2交代勤務を命じられました。完全週休2日ではない頃だったので、1日12時間の2交代勤務は、まさに地獄。月曜の朝8時半から、土曜日の夜8時まで目一杯日勤で働いて、翌日の日曜日の、夜8時半に、今度は夜勤で出勤しないといけないのです。当時はエアコンの無い2人部屋の寮だったので、真夏の暑い日の日曜日は、全く寝れないし、もう初日の夜勤明けは、フラフラなんですよ。今でも時々夢に見るほどですが、このツラさを乗り切った経験は、今でも心の支えになっていると思います。当時は「5月病」になる余裕すらありませんでした。

それでも、金曜夜の同期の飲み会には、無理してでも参加してましたね、もう「飲まないとやってられない」心境だったと思います。

その後、景気の後退、1ドル80円台の円高などで、東南アジアへ製造拠点が移り、タイとマレーシアに頻繁に行かされるようになりました。それがやっと終わったと同時に、国内工場は閉鎖。リストラとあいなりまして、結局11年間働いて、34歳の時に自己都合で退職しました。退職金は300万。子供が2人いたけど、出ただけ有難かった。今思うと、このころ長期で海外出張をしていた経験が、その後転職した外資系の会社で、大いに役に立ちました。運良く、タイに新工場を作ったばかりの外資系企業に転職することになります。その続きはまた今度書こうと思います。

 

このテレビ、良く売れましたね!「ひとりにトロン」なんて言われてたかな。所ジョージ若い!

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