Dogwoodの池上日記

地元大田区池上・蒲田と軽井沢・信濃追分を愛するDogwoodの日々徒然日記。

最初に入った会社のこと

今年4月に入社した新入社員も、ようやく慣れてきた頃では無いでしょうか。私Dogwoodが、1987年に大学を卒業して最初に就職した会社は、東海道線の藤沢駅と辻堂駅の間の線路沿いにある、大手家電メーカーの子会社でした。その年の同期入社は、男性が7人、女性が80人位。男子校出身のDogwoodとしては、それは、もう天国のような環境でした。しかし入社早々、自分ともう1人の同期の2名だけが、会社から離れた協力工場の製造現場で、2交代勤務を命じられました。まだ完全週休2日が定着していない頃、1日12時間の2交代勤務はまさに地獄。月曜の朝8時半から、土曜日の夜8時まで日勤で働いて、日曜夜8時半には今度は夜勤で出勤しないといけないのだ。当時エアコンも無い2人部屋の寮、真夏の日曜日の昼間は全く寝られず、初日の夜勤明けはフラフラ。今でも時々夢に見るほどツラかったけど、これを乗り切った経験は今でも心の支えになっている。若かったせいもあるけど、当時は「5月病になる余裕」すらありませんでした。

それでも、同期の飲み会には、無理してでも参加してましたね、もう「飲まないとやってられない」心境だったと思います。

その後、景気後退と1ドル80円台の超円高で、東南アジアへと製造拠点が移り、タイとマレーシアに頻繁に行かされるようになった。ようやく設備の移管が終わったと同時に、国内工場は閉鎖。あえなくリストラとなりまして、34歳で自己都合の退職。貰った退職金は300万円。子供が2人いたけど、出ただけ有難かったかと。今思うと、このころ長期で海外出張をしていた経験が、その後転職した外資系の会社で大いに役に立ちまして、運良くタイに新工場を作ったばかりの外資系企業に転職することになりました。その続きはまた今度書こうと思います。